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9年に及んだ大埼玉事変に起こった事柄を書き留めます。

   
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大埼玉事変 事象05 後編
事変後、大埼玉県の全貌は各メディアが暴き、かつての科学者の失踪事件や東京五輪事件は
すべて大埼玉県に関わる組織による物であったとされる。
それは、東京、更には政府に代わり、新しい日本を構築する為の行動であったと思われるが、
真意は定かではない。
事変終結時には重要関係者のほとんどが死亡しており、また資料等も焼却処分され、
結局生き残った下層メンバーの自白による物も信頼たる情報ではなかったのである。
一部、地方、国民をないがしろにする政府への復讐であった、と報道するメディアもあったが、
政府は認めなかった。
国内世論の中には、大埼玉県の行動を天晴れとする論調があったのもまた事実である。
政府は活動死体に関する情報を求めたが、大埼玉県は唯一、
半機械人間の情報をことごとく完全に隠蔽しており、
その秘密を公にする事は一切出来なかった。
焦土と化した埼玉県地区は東京に編入され、再生計画が行われたが、
首都の電源とされる原発は、原子力政策そのものが見直され、
エネルギーの大変換を促したのは大埼玉事変の残した、数少ない功績なのかもしれない。


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