忍者ブログ

9年に及んだ大埼玉事変に起こった事柄を書き留めます。

   
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

大埼玉事変 事象04 中編その3
制空権までも含む、あらゆる進入手段を制圧した大埼玉県はその目的を公表せず、
外界からの侵攻に関しては徹底抗戦で対応した。
特に原発3基、及び東京の水瓶である狭山貯水池等は恰好の人質であり、
自衛軍の作戦を遅滞させるのに充分であった。
この戦いは長い期間、進退を繰り返したが政府自衛軍は事変後期になり、
唯一半機械人間に対抗しうる兵器として、
自立行動型の重武装重機(へビィユンボ)を投入、徐々にではあるが戦線を押し込んでいった。
大埼玉県を完全に沈黙させるのに、政府自衛軍は実に9年の時を費やした。
大埼玉県の最終防衛ラインは、狭山湖畔に移設された所沢原発周辺であった。

つづく
PR
   
Copyright ©  -- 大埼玉事変 --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by The Heart of Eternity / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]