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9年に及んだ大埼玉事変に起こった事柄を書き留めます。

   
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  通信兵 A型
鶴ヶ島地域で確認された通信兵のA型。
通称、鶴ヶ島通信兵A型。
シャークマウスが施され、異様な雰囲気を醸し出している。



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通信兵 A型
事変の初期から目撃例の多かった通信タイプの半機械人間。
基本的な戦闘能力は高くは無いが、常に前線で活動しており、
通常の人間よりは俊敏な動きをする事もある。
その頭部に強力な電波送受信設備が施されていると思われ、政府自衛軍の情報はほぼ筒抜けであった。
また、レーダー機能も兼ねているらしく、その網に引っかかると、
敵対する側のイヤホンからは念仏の様な妙な歌が聞こえてくるという。
万が一イヤホンから妙な歌が聞こえてきた場合、時既に遅く、半機械人間から逃れる事は出来ない。
画像は、所沢地区で確認された通信兵A型。通称、所沢通信兵のA型。
半機械人間は、展開されていた地区とタイプ名称で表現される事が多い。
このタイプは地域により様々な改良が加えられ、事変後期まで使用された。
事変後、大埼玉県の全貌は各メディアが暴き、かつての科学者の失踪事件や東京五輪事件は
すべて大埼玉県に関わる組織による物であったとされる。
それは、東京、更には政府に代わり、新しい日本を構築する為の行動であったと思われるが、
真意は定かではない。
事変終結時には重要関係者のほとんどが死亡しており、また資料等も焼却処分され、
結局生き残った下層メンバーの自白による物も信頼たる情報ではなかったのである。
一部、地方、国民をないがしろにする政府への復讐であった、と報道するメディアもあったが、
政府は認めなかった。
国内世論の中には、大埼玉県の行動を天晴れとする論調があったのもまた事実である。
政府は活動死体に関する情報を求めたが、大埼玉県は唯一、
半機械人間の情報をことごとく完全に隠蔽しており、
その秘密を公にする事は一切出来なかった。
焦土と化した埼玉県地区は東京に編入され、再生計画が行われたが、
首都の電源とされる原発は、原子力政策そのものが見直され、
エネルギーの大変換を促したのは大埼玉事変の残した、数少ない功績なのかもしれない。


制空権までも含む、あらゆる進入手段を制圧した大埼玉県はその目的を公表せず、
外界からの侵攻に関しては徹底抗戦で対応した。
特に原発3基、及び東京の水瓶である狭山貯水池等は恰好の人質であり、
自衛軍の作戦を遅滞させるのに充分であった。
この戦いは長い期間、進退を繰り返したが政府自衛軍は事変後期になり、
唯一半機械人間に対抗しうる兵器として、
自立行動型の重武装重機(へビィユンボ)を投入、徐々にではあるが戦線を押し込んでいった。
大埼玉県を完全に沈黙させるのに、政府自衛軍は実に9年の時を費やした。
大埼玉県の最終防衛ラインは、狭山湖畔に移設された所沢原発周辺であった。

つづく
20XX年1月某日午後10:00埼玉県は突如独立を宣言する。
それに伴い、同日から夜明けまでにかけて、一夜にして
山梨、群馬、茨城、栃木へ武装部隊を電撃的に侵攻、制圧した。
この様に埼玉県は周辺4県を取り込み、「大埼玉県」を樹立させる。
いわゆる「大埼玉事変」である。
(その後、「ダサイタマ県」と揶揄される所以である)
政府はこれを国内事案として対処し、海外からの援軍を拒否、また内政干渉とまでその行動を拒絶した。
大埼玉県境にはバリゲートが作られ、県外からの一切の連絡交通手段は絶たれた。
既に軍隊化していた大埼玉県内のかつての自衛隊は大埼玉県警の支配下に堕ち、
警備隊として県境等の拠点に配備された。
警備隊の中には活動死体と呼ばれる、死んだ人間を活用した「半機械人間」が含まれていた。
半機械人間は各兵科ごとに特殊な仕様を施され、一度活動を始めると約一ヶ月自立可動が可能であり、
何よりも負傷等による欠員のリスクがほぼ無く、撃たれても前進する事が出来、
交戦した自衛軍兵士によれば、
本体を爆散させない限り動きを止めないという。
数少ない半機械人間の鹵獲パーツから、量産され、情報を管理された脳と
人工神経接続技術がふんだんに応用された
生ける死体の様な物であるという事は解ったが、結局具体的な解析には至らなかった。

つづく
   
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